患者さんインタビュー

医学研究「がん医療における定期的な『笑い』の提供が自己効力感や生活の質に与える効果の検証」には、多くの患者さんらにご協力頂きました。
中でも、インタビューに賛同して下さいました患者さんお二人にお話をお伺いしました。

お一人目は、「大阪国際がんセンターのスタッフさんの対応が、丁寧で優しく感動し、研究にご協力したいと思いました」と話す奈良県在住で接客業のAさん(50歳)。

「わろてまえ劇場」の前半4回を鑑賞するA群で、参加して下さり、第3回公演終了後にインタビューをさせて頂きました。

奈良県在住Aさん(50歳)

「わろてまえ劇場」についてお話し頂きました。 

元々お笑いファン。主治医から薦められ・・

2017年4月、主治医から「わろてまえ劇場」の鑑賞とその研究への協力を乳腺外科の主治医から案内されました。元々、お笑いに大変興味を持たれていたAさんは、即応募されました。Aさんは「ストレス発散のためではなく、治療をして下さった方々への感謝の気持ちから応募しました。何事も、プラス思考に努めており、自然な流れで、お笑いを受けとめることができました」と、応募当時のことを振り返られました。

2週間に1度の舞台鑑賞が楽しみに・・・

Aさんは、「吉本新喜劇」を鑑賞したり、なんばグランド花月ヘ足を運んだり、以前から、お笑いファンでいらっしゃいました。「ベテランさんの芸人さんもさることながら、特にテレビでお見かけすることが少ない若手の芸人さんの気迫を感じることができ、私には、心地良い刺激となりました。家にこもっていると、家事をするだけの単調な日々になりがち。でも、2週間に1回『わろてまえ劇場』へ行くと思うと、楽しみが増え、気分転換にもなりました。今後も、ずっと定期的に行って欲しいくらいです」と、話されていました。

病に対して、どのように向き合われてきたか、お聞かせ頂きました。

やはり乳がん・・頭の中が、真っ白に

Aさんは、右胸にしこりを感じていて、それが握り拳ほどの大きさになり、病院勤務だった娘さん(26歳)の薦めで、2015年、自宅近くの病院で受診。「乳がん」と告知されました。Aさんは、覚悟はしていたものの「頭の中が、真っ白になった」と言います。

「クイックイン外来」でスムーズに

病院からの紹介状を持参して、大阪国際がんセンターの「クイックイン外来」で早々受診されました。「診察は大変スムーズに進められました」とAさん。そして、同センター乳腺外科の医師から「抗がん剤治療で、乳がんの腫瘍を小さくしてから、手術をする」と診断されました。

「治療が一段落したら仕事復帰を心に決める

当時、接客業に就いていたAさんは、抗がん剤による脱毛を想定し、一旦退職を決断。「治療が一段落したら、仕事に復帰しよう」と、心に決められました。その時、常に娘さんは、寄り添っておられた事が、Aさんにとって心強かったようです。

病に対し発想の転換「これまでと異なる世界を体験」

抗がん剤の治療中は、脱毛、爪の変色、体のだるさなどの副作用がありました。しかし、脱毛カバーのための帽子を買い求める時も、「ファッションとして帽子を着用したことがなかったので、その買い物を楽しく感じられた」と前向き。さらに「病が、これまでと異なる体験をさせてくれて、楽しさすら感じた」と、発想の転換をされていました。その後、右胸の全摘手術、根治を目指した放射線治療、化学療法など、を乗り越えられました。

接客業の仕事に復帰

現在、Aさんは、接客業の仕事に復帰されたそうです。九州にお住まいの娘さんとの連絡を励みにされているそうです。

お二人目は「研究や治験は、全てご協力したいと思っています」と話す大阪市内在住の専業主婦のBさん(58歳)。

「わろてまえ劇場」の後半4回を鑑賞するB群で、参加して下さり、第7回公演終了後までにインタビューをさせて頂きました。

大阪市内在住Bさん(58歳)

「わろてまえ劇場」についてお話し頂きました。 

娘さんがネットで見つけた「わろてまえ劇場」

「うちの家族が、とにかく明るいのよ。だから、楽しく暮らしているからかな・・」と、笑顔が絶えないBさん。最初のがんの告知の時、小学生だった2人の娘さんは、現在、27歳(長女さん)と25歳(次女さん)になり、それぞれアメリカと韓国に嫁がれました。遠方で暮らされているものの、病に関する情報収集をされるなど、献身的に母親のBさんに寄り添っておられます。長女さんがインターネットで見つけてくれた「わろてまえ劇場」について、Bさんは、主治医に相談した上、迷うことなく応募されました。

漫才の面白さに引き込まれ、一瞬日常を忘れた

Bさんは、「わろてまえ劇場」1~4回目開催の際は、アンケート調査と血液検査のみのために通院されていました。そして同劇場5回目に初めて、舞台を楽しまれました。その鑑賞後「周囲の席の方々も、楽しそうでした。笑いは、緊張感をほぐしてくれますね」と第一声。そして「芸人さんの気迫やプロ意識を感じました。漫才の面白さに引き込まれて行き、その間一瞬、日常生活を忘れさせてくれました」と言い、「話術、テンポ、間の取り方が絶妙な芸人さんから、優しさ、人間性、人生経験を感じました」と話されていました。

闘病を経験されたざこばさんの舞台に共感

脳梗塞を患い、入院を経て、仕事に復帰した落語家・桂ざこばさんの舞台について、「ざこばさんが、重病でいらしたことは、知らなかったのですが、一度は発すことができなくなった言葉を懸命に発しようなさっていたこと、そして客席の私達を笑わせようとされる精神に感動しました。『こういう病気なんやし、しゃあない』と言って、そのありのままの姿を私達に示して下さり、嬉しく思いました」と言い、「ざこばさんのお話は、人間味に溢れ、舞台に登場されただけで、安心感を感じました。私も、もっともっと頑張らなければと思いました」と話されていました。

病に対して、どのように向き合われてきたか、お聞かせ頂きました。

検査結果を待つ1週間、ベッドの中で泣いていた

1999年、Bさんが40歳の時、下着に付着のワイヤーが、右胸の一部に不自然に擦れ、違和感を感じ、不安が募り、「検査を受けよう」と決心されました。そこで、雑誌で病院を探し、様々な人からのアドバイスも得て、大阪府内の幾つかの候補の病院から、大阪国際がんセンター(当時=大阪府立成人病センター)での受診を決断されました。その後、マンモグラフィ、触診、細胞診を受診。その検査結果を待つ1週間について、Bさんは「怖くて、たまらない気持ちになり、毎晩ベッドの中で泣いていました」と、当時を振り返られました。

小4と小2の娘、夫のために頑張らなければ・・

医師から「ステージ2の乳がん」と、Bさんは告知されました。その時、2人の娘さんは、小学4年(長女さん)と小学2年(次女さん)。「何とか、幼い娘たち、夫のために頑張らなければ」と、自らを奮い立たせました。入院は個室を希望したものの、空き室がなく、患者さん4人が入院する大部屋となりましたが、「大部屋が私の意思を変え、救ってくれました」と、言います。

乳房温存手術の直後、卵巣がん判明

Bさんは、がんの摘出をする乳房温存手術を行い、退院を目前に控えていた時、大部屋の他の患者さんから、卵巣などの検査も薦められ、院内で検査を受けたところ、卵巣がんが判明。ご主人さんは、3人目のお子さんの誕生を望んでおられていたのですが、子宮や卵巣を全摘されました。

大部屋の皆さんが、絶望を希望に変えてくれた

入院中に試練が続いたものの、Bさんは、入院当初と退院時とでは、気持ちに大きな変化がありました。「様々ながんを患いながらも、元気に退院していく、大部屋の他の患者さんの姿を見て『がんは治る病気なのかしら・・』と思わせてくれました。そして周りの方々からの声掛けにも、勇気をもらい、救われました。死を意識したどん底の絶望から、希望へと気持ちを変えてくれたのです」と、笑顔で話されました。

再発・・治療続け腫瘍マーカー数値下がる

Bさんは、がんの根治を目指して、抗がん剤治療を行い、そして10年間、定期健診のための通院を終了されました。しかし、それから7年経過した2016年、お孫さんを抱っこした時に痛みを感じ、咳が止まらず、検査を受けられ、乳がんの再発、骨の転移を告知されました。「現在、ホルモン治療と骨転移の治療を行っており、最近腫瘍マーカーの数値が、下がっているのです」と、力強く語られました。

LINEで送られてくるお孫さんの写真が楽しみ

Bさんは、2人の娘さんから、LINEで送られるお孫さんの写真を楽しみにされています。そしてシバ犬2匹のペットや、ペット好きの仲間たちとのふれあいに癒やされているそうです。